エルトゥールル号遭難事故とは
今回ご紹介する動画は「WakayamaPref」が公開した、日本から8,700km離れた親日国トルコとの絆を結んだエルトゥールル号を紹介した「日本トルコ 時を越える絆 ~エルトゥールル号が繋ぐ友好の物語~」です。
東ヨーロッパと西アジアにまたがるトルコは親日国として有名ですが、その歴史は今から130年前の日本の本州最南端である和歌山県串本町にある大島で起きた、エルトゥールル号の遭難事故から始まりました。
トルコ軍艦が1890年9月にトルコへの帰国の途中で台風により船甲羅という岩礁に衝突し、樫野崎沖に沈没しました。
地元住民がこのとき海難事故にあったトルコ人船員を救出作業したことからトルコとの友好が始まったのです。
エルトゥールル号を救った串本町
トルコのエルトゥールル号救出活動にあたった人たちの住む集落は和歌山県串本町の樫野地区の方々です。
当時、通報を受けた住民らは、救助と介抱をおこないました。
こちらは動画の1:26より詳しく紹介されていています。
決して豊かではなかった時代に、台風で漁に出られず蓄えも少ない中、衣類や食料をトルコ人たちに提供しました。
当時おにぎりを提供したとされる入れ物の「もろぶた」も残されています。
こちらは動画の2:43からご覧なれるエルトゥールル号の救出にあたった住民の息子さんへのインタビュー内で紹介されています。
イランイラク戦争と親日の歴史
1985年に起きたイラク戦争のさなかにイラン・テヘラン在留邦人救出がおこなわれました。
イランの首都テヘランに取り残された日本人215人をトルコ政府が派遣したトルコ航空機によって救難活動されたというものです。
この事件も親日のトルコとの絆によって起きたエルトゥールル号救出恩返しと言えます。
今も続くエルトゥールル号遭難事故への慰霊祭
写真:トルコ記念館
動画の5:33からご覧になれるように、エルトゥールル号遭難事故の翌年から住民らによる慰霊祭が行われ、以来途切れることなく交流が受け継がれ、現在も5年ごとにトルコとの合同慰霊祭を行っています。
式典に向けて和歌山県串本町では街を上げて準備をしました。
また、6:49からご覧になれるように2015年にトルコ記念館がリニューアルオープンし、新たに遺品発掘調査で発見された遺品展開催がされました。
当時のエルトゥールル号は木造であったため、船内にあった遺品はすべて海に沈みました。
これらの遺品調査が2008年から続けられています。
多くの調査を繰り返し、これまでトルコと日本あわせて7箇所で遺品の展覧会を行っています。
動画の9:04からご覧になれる2015年の発掘調査では当時船が遭難した樫野崎沖で作業をおこない、51回の潜水で311点もの遺品を見つけることができました。
エルトゥールルリサーチセンターでこれらの遺品が調査され、地元の子どもたちも保存作業を協力しています。
島唯一の大島小学校では総合の時間で親日国トルコと日本の交流について学びます。
トルコのあいさつをする様子が動画の7:34からご覧になるができます。
また、親日家であるトルコ人が串本町の役場で働く様子は7:50よりご覧になれます。
8:16から紹介されているのは親日友好の証として串本町が開発したのが「エルトゥールル」という名前のバラです。
トルコの親日の歴史を知れるエルトゥールル号紹介まとめ
写真:トルコ軍艦遭難慰霊碑
動画でご覧になれるように和歌山県串本町トルコ文化協会では、民族舞踊や言葉の勉強、親日であるトルコ人との交流などの活動をおこなっています。
日本とトルコの友好125周年を記念して映画「海難1890」も公開されました。
小説や本も多数出版されています。
四季折々の風景や世界遺産である高野山と熊野がある和歌山で新日交流を築いたエルトゥールル号の奇跡と日土国交の歴史を学んでみてください!
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