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日本の歴史を今に伝える祭り・京都山科義士まつりとは?

この動画は「Discover Kyoto」が制作した、「Kyoto Festival: 47 Rōnin March (Gishi Matsuri) [4K]」です。
日本の古都「京都」の洛東の地山科は、三方を自然豊かな山に囲まれた小さな盆地です。
ここには、あの忠臣蔵で有名な赤穂浪士にゆかりのあるお祭りがあります。
それがこの動画で紹介されている、京都山科義士まつりです。

忠臣蔵といえば日本人にはおなじみですね。
江戸城吉良邸泉岳寺といずれも東京にゆかりの地が多いのですが、人形浄瑠璃歌舞伎の台本である「仮名手本忠臣蔵」には九段目山科閑居の場というシーンがあり、この京都山科が舞台であり、大石内蔵助が討入りまでの間隠れ住んでいた土地なので赤穂浪士にまつわる史跡が多く残っています。

こうした歴史的な縁があり、毎年12月4日には「山科義士まつり」が開催され、討ち入り装束に身を包んだ義士隊の行列が町を練り歩き(動画1:12~)、忠臣蔵でも有名な「刃傷松の廊下」や「切腹」、「連判状改め」、「討入り」などのお芝居、女性たちによる「大石音頭(動画2:50~)」、「元禄花見踊り」が祭りを盛り上げます。
まるでタイムスリップしたかのような気分が味わえる、京都山科義士まつりの紹介動画をご堪能ください。

日本の歴史ゆかりの祭り京都山科義士まつりの隊列コース

京都山科義士まつりの画像
画像引用 :YouTube screenshot

毘沙門堂本堂前では早朝から全員揃っての出陣式が行われます。
こちらは動画の0:55よりご覧になれます。

大石内蔵助と義士たちに扮した一行は、毘沙門堂を出てから途中京都市東部文化会館を経て、大石神社までのエリアを練り歩きます。
赤穂浪士の行列が出発する毘沙門堂というのは、天台宗門跡寺院で毘沙門天を祀っているお堂です。
実はこの毘沙門堂が、忠臣蔵では重要な役割を果たす場所なのです。

吉良上野介を討ち取った赤穂浪士の扱いについては、幕府内でも意見が分かれ、困った将軍綱吉は毘沙門堂門跡公辧法親王に意見を求めます。
毘沙門堂門跡公辧法親王は赤穂浪士四十七士たちの忠義を認めながらも、死を与えることもまた情けであろうと綱吉に意見し、切腹が命じられその亡骸は東京の泉岳寺に葬られたと言います。

つまり毘沙門堂門跡公辧法親王によって武士の本懐を遂げることが叶い、山科義士まつりの起源となり隊列の出発点が毘沙門堂になったのです。
ちなみに現在の毘沙門堂は応仁の乱で廃絶した後、寛文五年に安祥寺の境内に移されたものです。
山科義士まつりの出発点、毘沙門堂への交通アクセスはJR山科駅より徒歩20分となっています。

日本の古都京都山科義士まつりの歴史と交通アクセスについて

京都・毘沙門堂の画像
写真:京都・毘沙門堂

京都山科区は豊かな自然と歴史にまつわる史跡の多い日本の観光名所です。
義士祭りは忠臣蔵が由来のイベントですが、それ以外にも小野小町が居住していた隨心院紫式部の祖先にもゆかりのある土地柄です。

京都には嵐山京都市、清水寺、紅葉の名所、神社仏閣など日本の歴史と観光を知る上でとても重要な場所です。
JR山科駅への所要時間は京都駅からおよそ5分。イベント当日は大変な混雑が予想され、駐車場の確保が難しいと思われるので公共交通機関を使ってください。

日本の歴史を今に伝える京都山科義士まつりのまとめ

京都山科義士まつりの画像
画像引用 :YouTube screenshot

京都山科義士まつり当日は山科義士まつり写真コンクールも行われます。
赤穂浪士の行列の他にも、2:11からご覧になれる護摩焚きなど他にも見どころはたくさんあります。

日本の歴史ロマンを今に伝える伝統あるお祭りは見逃せない!
思い思いの討ち入り装束に身を固めた赤穂浪士たちの勇壮な隊列を4K動画でお楽しみください。

【公式ホームページ】山科義士まつり 京都 年末の風物詩 公式サイト
http://www.gishimatsuri.com/

この記事を書いた人
最終更新日 : 2020年9月15日
日本
児玉 勇(Yu Kodama)
日本と焼き鳥をこよなく愛するライター
京都山科義士まつりは、まるでタイムスリップしたかのような気分が味わえる!日本の歴史ロマンを感じさせる忠臣蔵・赤穂浪士に扮した一行が 京都市山科区の街を練り歩く姿は見る人全てを魅了する!
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